孤独の読書

考える。生き残るために

ツムツム、ヒャッハー感

子供がツムツムうるさい。

ツムツムというのは、ソシャゲだ。

ようするにスマホの無料ゲームだ。

 

やったことはないけど、

おそらく、パズドラとか、

モンストなんかとおなじだろう。

 

ソシャゲっていうのは、

操作が簡単だ。

 

タップするだけ、とか、

引っ張るだけ、とか。

 

でもヒトはそれだけだと、

飽きてしまう。

なので、「なにか」を

与えなければいけない。

 

たとえば、

画面がキレイだとか、

キモチイイ音。

 

数字。

 

しかし、いちばんは、

能力拡張錯覚。

きっとこれだろうと思う。

 

能力拡張錯覚というのは、

たとえば車。

 

初めて車に乗った時。

自分がまるですごい能力を

手に入れたかのような気分になった。

 

車の操作はというと、

ペダルを踏むだけ。

 

オートバイにしてもおなじ。

 

あるいはたとえば、

パソコン。

内容は、おなじことだ。

 

ここで言う「能力拡張」というのは、

簡単にいえば”ヒャッハー感”だ。

 

まわりとの圧倒的な”ヒャッハー感”。

それと、カネを引き換えにするのだ。

しかもそれが、

「データ」っていうね。

 

なんともムナシイ話なんだけれど。

まぁそれがその人の幸福追求なんだから、

仕方がない。

 

簡単に。

お手軽に。

気楽に。

面倒な手続きなしに。

 

ここでの間違いは、

「安心感」とか、

「肯定感」ではないということだ。

敵をぶっ潰す。

それが幸福追求なのだ。

 

あるいはおもしろいところでは、

ゲーム内にはサポート役に徹する

プレイヤーも存在する。

 

サポートするために、

ステータスを上げる。

そのための課金。

 

批判はしょせん嫉妬

アプリの制作は、個人でも可能だ。

その個人が、おなじく個人と

売買契約を取る。

 

時代はそこまで来ているのだ。

つまり、いちいち会社に就職して

どうこう、ではない。

 

そんなことはカンケーなくて、

自分自身が、お客と売買契約を結ぶ。

そういうことだ。

 

それで、実際はそのスマホ

親のだったとか、

だからなんだっていうのか。

 

じゃあスマホでなくて、

子供が持ってる小銭。

その小銭は誰のものなのか?

っていう話。

 

子供に小銭を持たせて、

タバコを買いに行かせる。

 

そんなおおらかな時代があった。

 

それとどう違うのか?

まったくわからない。

いっしょだよ。

 

そのカネが、スマホに流れた。

それが悔しいだけだ。

 

違うのか?

いや、絶対に違わない。

 

優先順位

ビジネス(に限らず)なんでも、

とりあえず”試してみる”ことだ。

 

何でもいい。

ビジネスは、お客様のことを

考えて行う。

 

そんな考えも、たしかにあってもいい。

しかしそれはもちろん、

一つの考えだ。

 

たいせつなのは、

”それだけではない”ということだ。

 

筆者は「引っかけ式」だ。

言いいえれば、「誘惑」だ。

 

それで十分だ。

相手は、筆者の誘惑に勝てなかった。

ただそれだけのことなのだ。

 

それを、「信用してた」とか

なんとか言うのであれば、

それはあまりにも幼稚だ。

 

ここできちんと宣言する。

そんなことは言われてはいない。

もしもの話だ。

しかしこまったことに、

ifの話が通じない人もいる。

 

世の中には本当にいろんなひとがいる。

たとえば筆者は極力、

漢字を使わないようにしている。

 

驚くべきことに、

常用漢字がわからないひとがいる。

 

フツーにいる。

 

さっきのツムツムとおなじだ。

「ユーザー目線」とはそういうことだ。

 

コントロールする

ぶっちゃけてしまうと、

自分より上の者を、

コントロール出来ない。

 

だから、目下を支配する。

言葉で言ってしまうと、

なんとも身も蓋もない。

 

しかし、「そういうこと」なのだ。

もうこれは「事実」だ。

ようはそれと正直に向かい合うかどうか、

そういうことだ。