孤独の読書

考える。生き残るために

軸をずらす

筆者は柔道をやっっている。

 

格闘技をやるとわかるが、

相手の「軸」をずらすことは、

とても重要なことだ。

 

初心者ほど、「チカラ」で押し切ろうとする。

ちからまかせで、なんとかしようとする。

初心者同士なら、それもまぁありだ。

 

ただ一歩間違えれば、

当然けがをするし、

なによりつかれる。

 

まぁ初心者は、たとえば年齢が

若かったり、あるいはアドレナリンが

出ていたりしてるので、

痛みや疲れに鈍くなっている。

 

しかし、しごとでもなんでもそうだが、

なれてくると、まわりが見えるようになる。

 

つまり相手のチカラを利用する、

ということができるようになる。

 

これも技術のひとつだろう。

それが「軸ずらし」だ。

 

べつに軸ずらしという呼び方が公式ではないが、

とにかく相手の軸をずらす。

 

言いかえれば、相手のリズムを狂わせる?

まぁそういうことが重要なわけだ。

 

リズム(ペース)を狂わせる

リズムをは言ってみればペースだ。

だれにでもペースがある。

 

それを「くずされる」のは、

相当なストレスだ。

それをしかけるのだ。

 

だいたい初心者ほど、チカラでくる。

ちからってのはつまり、いきおいだ。

いきおいでなんとかのり切ろうとする。

 

こちらも、そうはさせない。

がむしゃらなちから、といえば

聞こえはいいが、

ようするにやりかたが幼い。

 

すぐにコテンところぶ。

なぜなら幼稚だから。

 

たとえば、ささいな足払い。

あるいは、すこしカラダをゆするだけで。

すぐにガタつく。

 

接近戦で、ファタついたら、

もうそれは死を意味する。

 

あとは好きな様にやられるのを、

ただじっと待つのみ。

 

まぁ初心者のうちは、

やられるのも重要だ。

 

「やられる経験」といってもいい。

つまり、攻めるがわが、

どうやって攻めるのか。

 

自分のどういうスキを

ついてくるのか。

 

初心者には、それすらわからない。

やられた経験がないから。

 

事前に本で読んだり、動画で見たりと

できるが、やはり実践にかなうものはない。

 

いいからはやくやられてみろ、

ってことだ。

 

日常の中の軸ずらし

ちなみに筆者は、

人生の鍛錬のために、格闘技をやっている。

 

・・というとカッコつけて聞こえるが、

ようするに”強くなりたい”のだ。

 

もちろん、これをやったからといって、

確実に目的だ立っていできる保証なんで

どこにもない。

 

そんなことはわかっている。

しこうさくごなのだ。

 

しかしその分、気がつくこともある。

それが軸ずらしだ。

日常の中での軸ずらし。

 

日常の会話、その中で、

「知っている者」は、このテクニックを

多用してくる。

 

筆者はこれを上司にやられた。

伊藤(仮名)が筆者に話しかける。

筆者、返答しようとする。

 

すると、

「そうじゃなくて」とか、

「~~っていうか」という。

 

なので、こちらは

「そうですか、

~~ではなにですか」とこたえる。

 

だっておまえがそう言ったからな。

佐藤(仮名)もそうだ。

 

なにてめえが上だと思ってんのか

知らないが、いばるときだけ出てくる。

 

あとは知らない、

自分は関係ない、のスタイル。

筆者の目にはもう、

そうにしかうつらない。

 

だから対応ってのは重要だ。

伊藤や佐藤のように、

下のものをナメてると、

絶対に良くない。

 

よく芸能人がADを奴隷扱いして、

将来出世した当時のADに嫌われる、

というのを聞く。

 

当たり前である。

しかしおそらく、佐藤も伊藤も

そういう状況になったことがない、

あるいは筆者をなめている。

 

こういう老害は、すこし罰を与えないとダメだ。

経験上、いばる老害は、逃げるのもはやい。

 

自分より下のものをみつけて

いじめるのが楽しい人生なのだ。

 

そういう老害に限り、

しつけだのなんだのっていう。

 

ぜったいに言う。

間違いなく言う。

断言する。

絶対に筆者は正しい。

 

ちがうというのなら、

ちがうことを証明するがいい。

まぁできない。

誰にもできない。

よって筆者は正しい。

 

あいつらの給料のために、

筆者が苦しい思いをするなんて、

絶対に嫌だ。

 

だから筆者は組織には向いていない、

と思ってしまうのだが、

みんなそうじゃないのか?

と思ってしまう。