孤独の読書

考える。生き残るために

愛…しりそめし頃に

まんが道」からかぞえて43年。

40年以上の連載というだけで、そのすごさがわかります。

藤子Aの作品です。

 

トキワ荘の人々は、みな20代なのですが、

20代の青春の10年間をトキワ荘に捧げたこと

(もちろん結果的にはマンガ家として成功したわけですが)

が読んでいてアツイです。

 

「愛…しりそめし頃に…」(1) (藤子不二雄(A)デジタルセレクション)

藤子Aが書いているのだから、Aが主人公的な感じです。

語りも含めて。

しかし、「トキワ荘」の主人公となると、兄貴格の寺田ヒロオ

なのではないでしょうか。

手塚治虫は、すでにトキワ荘を離れ、並木ハウスに移っている)

 

というのは、なぜかというと、「キャラが立っている」

これにつきます。

キャラクターの手と足の描き方: 漫画、イラスト、アニメーションに役立つ

 

トキワ荘のリーダーで、体格もよく野球が得意。

普段は弱い部分がなく(あるいは見せない?)が、

本当は孤独である、みたいな。

 

性格は理想家。完璧主義で潔癖。

その性格が、後に悲しい結末になる。

本人の目指す作風と、時代が合わなかった。

正確には本人は、児童が読むべき理想的な漫画があった。

純真だったのです。

 

その反対に、例えば刀を振り回す、銃を撃ちまくるなど、

そういう盛り上げ方を少年漫画にのせることを、極端に嫌った。

 

そういう人。

んで、それを行動に移すのです。

つまり、掲載誌の連載ラインナップと自分の作品は合わないから、

そこに一緒にされたくないと、連載を降りる。

 

あるいは、縁もゆかりもないマンガ家に対し、

「あなたはこういう作品を書くべきだ」などの手紙を送りつける。

 

そんなことをしてたそうです。

 

良い面では、とても良いのです。

例えば金欠により廃業寸前の赤塚不二夫に、

何も言わず6万を渡したり(今で言う60万)

 

トキワ荘のメンバーの家賃を何回も肩代わりしたり、

(そのせいで寺田バンクと言われていた)

キャラとして立っていたのです。

 

それだけに、とても惜しい。

 

時代が、寺田に合っていれば

あるいは、寺田が時代に合わせられれば、

変わって行けてのかも知れない。

 

そういうことってありますよね。

 

編集者は、いろんな作品が合っての雑誌のです、

とか言うのです。

まあそれも一理あります。

 

言えることは、トキワ荘メンバーに大きな影響を与えたこと。

そして藤子Aをはじめ、関係者が寺田のことを発信してること。

 

その意味です。

 

本人は、もう亡くなっているから何も出来ない。

しかし影響を与えた関係者が、寺田のことに言及しているのです。

 

いなくなっても話題になる。

これはスゴイことですよ。

 

寺田ヒロオがなぜマンガ家を目指したのかは、どこにも書かれてないのです。

すでにマンガ家の状態で登場しているから。

スポーツマン金太郎―寺田ヒロオ全集10 (マンガショップシリーズ) (マンガショップシリーズ 454)

 

新潟県新発田市出身で、高卒後、警察の事務職に就職し、

その後NTTに社会人野球選手として入社。

 

その経歴を捨てて、東京に移り住みマンガ家を目指す。

人の歴史が面白いです。

 

トキワ荘に住んで2年後くらいに盲腸になり、

療養も兼ねて地元に戻る。

んでまたトキワ荘に戻る。

 

地元の加治川のほとりを散歩などしていると、

やはりトキワ荘に戻りたい!となるのです。

 

この辺の心理は、藤子F、Aのにも共通しています。

たまに富山に帰って、でもすぐにやっぱりトキワ荘に戻ろう!

仕事しよう!と言っていたのです。

 

ココにいてはダメだって感じです。

 

トキワ荘には都内近郊在住の通いのマンガ家もいましたが、

基本的には地方出身の若者たちばかりなのです。

 

四畳半ヒトマ風呂無し共同便所共同炊事場という、

60年前としては好条件の物件だそうです。

 

しかし何よりは、そこで生活する仲間たちです。

同じ目標を目指す、戦友。

しかし蹴り落とし合いのライバルではない。

 

もちろん、これはただのラッキーでなく、

それぞれの技術があったからです。

 

トキワ荘に入れただけで、当時としてはかなりの精鋭ですからね!

まんが トキワ荘物語(祥伝社新書288)

 

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