孤独の読書

考える。生き残るために

あやしい彼女

映画を見ると見は

たいていがレイトショーで

2200に始まって、

0時過ぎに終わる、

みたいな感じ。

 

んで夜の街を自転車で

走りながら、

さっきの映画を思い出し、

考える時間にはちょうどいい。

 

夜の街と言っても、

筆者の場合は田舎なので、

ほとんどが車だ。

 

筆者は自家用車をもってないので、

自転車。

夜中の0時に農道を走るのは、

はっきり言って筆者くらいだ。

 

都会の夜なら、

もしかしたらジョギングの

人なんかもいるのかもしれない。

 

でも田舎でジョギングなんかしない。

そもそも日々の労働があるのだ。

農作業とか。

つかれてんのに走るのか?

ってかんじ。

 

まぁ他にいろいろ思惑が

あるのだろうけど。

じゃなかったら、あんな

カッコつけて走る必要が無い。

 

どうせ汗で汚れるのに。

なんでわざわざおしゃれしなければ

ならないのか。

 

つまりデルタEだ。

デルタEを知っている。

そうじゃなきゃ、

そんなことはしない。

 

わかりやすく

受ける商品を作るには、

「個性的なものではなく普通のもので、

高度なものではなく分かりやすいもので、

複雑なものではなくシンプルなもので、

それでいて未だ世界に存在して

いないものを見つけ出すこと

 

みてもらうことが前提なのだ。

 

気づいてもらう

見てもらい

手にとってもらう

 

バカは、バカだから。

バカに気づかせてあげる必要がある。

バカが望む世界を、

こちらは安全圏から、

見せてあげる。

 

これまでの人生で、一度だけ

風俗に行ったことがあって。

 

こういうのも性格が出る。

筆者は決して友達と行きたくはなかった。

 

初体験は知人の誰にも知られず、

ひっそりとやりたかった。

 

堀之内に行った。

店が多い。どこが良いのかよくわからない。

適当な店に、

入るのにすごく勇気がいった。

 

なんだろう、あの感じ。

たとえば、レンタルビデオ屋の

アダルトコーナー。

 

今となってはなんでもない。

でもあの薄いノレン1枚が、

すごく分厚い壁のような気がしていた。

 

まあそういう意味では、

きっと風俗店の入り口も、

そうなのだろう。

 

喉元過ぎれば熱さを忘れる

 

とはいっても初心者君には、

ハードルが高かった。

意を決して、ひとつの店に入った。

 

中は何もない部屋。

まあ実際は椅子があって、

受付の窓口があって。

そこで女を選ぶんだけど。

 

入店したのに、

いちど退店した。

そこがもうダメだ。

 

んでしばらくぶらつく。

別の店にしようか、考えた。

でもなんとなく、

同じ店に入った。

 

理由はわからない。

受付の窓の向こうには

こわそうな男がいて、

女を選ぶメニュー表を出してきた。

 

このなかから選べ、

というわけだ。

いま選択可能な女と、

そうでない女がいた。

 

筆者が選びたい女は、

「いま選べません」と

太く冷たい声で言われた。

 

その時点で心は折れていた。

男は、さきほどから筆者の

動きを見ていたのだろう。

 

不審な客だ、と思っていたに違いない。

でもここまで来たら、

なんとか突破したい。

 

しょうじきすごく帰りたかった。

でも、経験したいという気持ちのほうが

勝った。

 

女の衣装が選べたが、

オプション料金だということだ。

選ばなかった。

 

奥へ行くと、

ビードールの女が出てきた。

正直、かわいくもなんともなかった。

それより今から何が始まるのか、

それを考えるので頭がいっぱいだった。

 

自分が嫌だった。

 

正直に、女に言った、

「こういう店は、初めてだ。

どうすればいいかわからない」

女は、事務的に教えてくれた。

 

まずは風呂に入り、

歯を磨く。

イソジンでうがいをする。

 

筆者は知らなかったのだが、

うがいをするということは、

キスをしたり、

女のカラダに筆者の口が触れる

ことを想定しているのだろう。

 

筆者はもちろん、

口は女にふれなかった。

キスもしなかった。

 

そんな発想がなかった。

それをしなかった自分が、

嫌で嫌でしょうがない。

 

やっけおけばよかった。

そうか、こういう感情になるのか。

これが後悔か。

 

鈴木は偉そうに何言ってるんだ。

 

その後は、ベッドかマットの、

どちらかを選ぶ。

たいていの男はベッドを選ぶそうだ。

 

筆者はマットを選んだ。

ローションプレイというのを、

やってみたかった。

 

マットは壁に立てかけてあり、

女は上手に蹴飛ばして、

大きなマットを寝かせた。

 

筆者も寝て、ローションを

かけられた。

まったく立たなかったし、

射精もしなかった。

 

緊張していたのだろう。

女は何度も腰を振り、

演技をしてくれた。

 

途中で、「もう疲れた」と

言っていた。

 

時間になり、

金を払った。

 

筆者はもう今後、

風俗は行かないなと思った。

 

現在も行っていない。

まあたった1店で判断するのも

どうかとおもうが、

しかし安くないカネを払って

わざわざ堀之内まで行ったのに、

たいしたサービスもしてくれず、

射精もできなかった。

 

まあそれにかんしては

こっちにも問題があるんだろうが。

 

・・・こっちに問題があるのだろうか?

であれば、筆者は風俗と

相性が悪い。

ただ高いだけでなんの特もしない、

そんな場所に行く理由はない。

結果と過程

評価基準

その人のくだす評価基準が、

結果を重視するのか、

過程を重視するのか?

という話だ。

 

先に結論から言えば、

”どっちでもない”といえる。

冷静な思考の人は、

そう認識できる。

 

しかし残念なことに、

多くの人はそこまで

認識できない。

 

みんな自分のことで

毎日いそがしいから。

 

これを自己中心的という。

でもそれがふつうだ。

だって多くの人が「そう」だから。

 

多くの人は「結果」を求める。

はやく結果が欲しい。

はやく結果にたどり着きたい。

 

なぜなら、そうすれば

時間が短縮できるから。

時間は大事だ。

 

失った時間は、戻らない。

それは正しい。

筆者も賛同する。

 

しかしそれは、

「部分的には正しい」といえる。

つまり「全部が正しい」とは

思わない。

 

ようするに、とおまわり

したほうが、結果として

本人のためになることだって、

じゅうぶんにあるのだ。

 

はやく成功することが、

はたしてそんなに良いことか?

 

カンタンに成功を手に入れた人は、

自分がなぜ成功したのか、

分析を行うだろうか?

 

おそらく、分析は

しないだろう。

 

現状に満足して、

ライバルたちに追い抜かれるのが

目に見えている。

 

「型」をやぶる

型破り、という言い方がある。

型破りというのは、

その前提として、「型」がある。

 

それを「やぶる」のだ。

つまり、型なくして、

型破りはできない。

 

つまりは、先に型があるのだ。

 

小学校の算数のかけ算では、

”かける数”と”かけられる数”

というのをならう。

 

たとえば、

「ミカンが6こずつ、3枚の皿に

並べます。ミカンはなんこいりますか?」

 

みたいな問題。式と答えは、

6×3=18

必要なミカンの数は、18こだ。

 

カンタンに思うだろうか?

たしかに、問題のときかた

自体はカンタンだ。

 

しかし、この式を、

「3×6」としては、

マチガイなのである。

 

は?

と思うだろう。

 

大人であれば、かけ算なんか

どちらから計算しても、

答えが同じことを知っている。

 

というか、九九表を見ても、

同じことが分かる。

 

しかし、文章問題では、

バッテンをくらうのだ。

 

なぜか?

 

それは、”文脈に合ってないから”。

 

くわしい解説は割愛するが、

とにかく、

 

「答えがあってさえすれば、

途中式なんかどうでもいい」

というのは、マチガイ

というのが、これでわかる。

 

言いかえれば、

途中式こそ、たいせつなのだ。

 

”いったいどうやって、

この答えにたどり着いたのか?”

そこが重要だ。

 

現実の限界

しかしそうはいっても、

たとえばマークシートなんかは、

塗りつぶしになっている。

 

途中式が手書きでかけない。

つまり”言い訳がきかない”のだ。

 

いやまてよ、これは見かたを

変えれば、「途中なんてどうでもいい」

ということの、裏返しではないか?

 

”結果のみあってればOK”の

考え方は、長期的に見れば、

その人あるいはその集団の

ためにならない。

 

なぜなら、その「結果」とやらが、

どうやって手に入れたのか、

誰も知らない、気にならないから。

 

たとえば、激安食材。

いったいどこから、来たのだろう。

原産国は?

 

・・まぁいっか。安いし。

これで、いいのだろうか?

 

 

もちろん、選択の自由がある。

なにをどう選ぼうか、それは

カネを出す人の自由だ。

 

結果重視派=さんま、

過程重視派=紳助

結果を重視する傾向にある人は、

途中なんてどうでもいい。

 

いや、正確に言えば、

ほんとうは、その結果を得るために

とても努力をしている、

あるいは、

つらい思いをしているのかもしれない。

 

でも、それを表に出さない。

なぜなら、それに価値が

あると思ってないから。

 

なんだったら、見せたくない。

そうやって、相手に与える

イメージをコントロールしている。

 

さんまさんなどは、

特にそうだろう。

面白ければいい。

 

どんなことがあっても、

笑いに変える。

 

 

いっぽうで、紳助さんのような人。

過程を重視する人は、

 

(ちなみに、結果を重視しないとは、

言ってない。むしろ、

結果を重視したうえで、

プラス過程も重視する。

 

ある意味では、紳助さんタイプの人は、

結果派と違った厳しさがあるかも

しれない)

 

きちんと途中を大事にする。

大事なのは結果だけではない。

 

その中で何が合ったか。

何を感じたか。

それに注目する。

 

「素敵やん」とか、

まさにピッタリのフィレーブだろう。

 

ひとつ言いたいのは、

どっちかってことはない。

 

だれしも、両方が存在する。

問題はその割合だ。

 

割合に応じて、

相手への態度を変える。

つまり、

「どうすれば相手のためになるか」

それを考えるのだ。

 

そうすることで、

相手の考えを先回りして

読み取ることができる。

 

結果として、自分自身の

 

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ためにもなるのだ。

 

 

まとめ

コインにオモテとウラがあるように、

ヒトにもおなじことが言える。

 

オモテがあって、ウラもある。

ふたつはひとつ。

 

どちらがまえで、

どちらがうしろか。

 

どちらでもあり、

どちらでもない。

 

オモテが厚い人もいる

ウラが厚い人もいる。

両方うすい人もいる。

いろいろだ。

 

あくまで「割合」の話だ。

環境で割合は変化する

 

 

 

 

理想は一本、現実は得点

ホームランはかっこいい。

いつか打ってみたい。

 

野球をする人は、いちどは

こう考えるだろう。

 

しかし、ホームランは

カンタンではない。

 

・・なんてことは、

誰もが知っている。

 

野球をやったことがなくても。

 

いつ成功するかわからない

ホームランをねらうより、

小さなヒットをたくさん

打ったほうが、全体としては、

得点が高いのではないか?

 

つまり、”勝ちにつながる”

のではないか?

 

小さなヒットであれば、

少なくともホームランより、

難易度が低い。

 

そもそも、やとうとしているコトが

小さなヒットだから、

精神的負担が軽い。

 

それを、つなぐのだ。

そう考えると、

ホームラン狙い、というのは、

ひとつのゴラク、と

言えるかもしれない。

 

ほんとうは、小ヒットもうてる。

打てる技術がある。

 

でも、やらない。

なぜか?

 

それは失敗に対する、

リスクヘッジだ。

 

「失敗した」というデータが

残るのだ。

失敗をみんなの前でさらす。

 

それについて、みんなが

理解があればよい。

でも実際は、それはない。

 

だから、なるべく失敗は

見せない。

それがプロなのだ。

 

アンチ牽制

「安心感」とか「親近感」なんてのは、

体のいい言い方だ。

 

つまり、ナメたいのだ。

自分が上に立ちたい。

マウントをとりたい。

 

そういう輩は一部いる。

 

自分で言うのも何だが、

筆者は「そういうヒトタチ」に

ついて、あまりにも無知だった。

 

世間知らずだった。

今なら分かる。

 

別に立ち向かおうなんて気は、

まったくない。

そうではなくて、そもそも

住む世界が違うのだ。

 

違うくせに、彼らは

足を引っ張ってくる。

 

そこを牽制しなくては、

ならない。

「守るための努力だ」

 

彼らは寄生虫だ。

シロアリみたいなものだ。

 

甘い汁をたくみに見つけては、

スキマからはいりこんでくる。

 

もちろん、そういう生き方なのだから、

否定はしない。

 

ただ相手を変えてほしい。

あいにく話の通じる相手ではないため、

こちらとしてできることは、

「相手に諦めてもらう」

ほかない。

 

つまりこれが”納得してもらう”と

いうことなのだが。

 

彼らに対してこうまで

気をつかってあげるのが、

そもそもおかしい気もするんだけど、

彼らノイジーマイノリティは、

粘着されたらひじょうに

やっかいだ。

 

さっさと他に行って

もらうのが、現時点での

最適解といえるだろう。

 

税金パターン

小ヒットを重ねる、

という意味では、

日本の税金の取り方も

ひじょうに参考になる。

 

「ナントカ税」といって、

いくつも存在する。

 

多いのは、自動車関係だ。

車検、重量税、

購入税、ガソリン税

通行料、、

 

まぁとにかくいろいろある。

税金をデッカク取ると、

反発が大きい。

 

というかそもそも、

「無い袖は振れない」

つまり、

”カネがなければ、

支払いもできない”のである。

 

ようするに、小さく小さく、

それでいてジワジワと、

カネを絞りとる。

 

それが現実的なやり方なのだ。

 

この国を運営しているのは、

首相ではない。

もちろん国民でもない。

 

それは、官僚だ。

官僚はかしこい。

 

官僚の給料は、税金だ。

官僚は自分のためなら

なんでもやる。

 

国民のことなんて、

なんにも考えてない。

 

その証拠に、少しでも

考えていたら、そもそも

官僚になんて、なっていない。

 

たいせつなことは、

彼らにかみつくことではない。

 

そうではなく、

「彼らから学ぶ」ことだ。

 

”小さくたくさん”取ること。

そうすれば、それをあつめれば、

デッカクなるのだ。

 

だって、自分のためだもの。

国民なんてどうでもいい。

 

そういう、割りきった考えを

持つことだ。

ドライになること。

それも重要だ。

 

格闘技からの視点

「大きな一本より、

小さな得点」というのは、

ひじょうに含蓄がある。

 

たとえば柔道などがそうだ。

日本人は、一本を取りたがる。

 

なぜなら、柔道とは

「そういうもの」と教わっているから。

 

昔から、そうだから。

ようするに、

そういう思い込みなのだ。

 

しかし、プロ格闘ゲーマーは、

まったく逆だ。

 

たとえばアメリカ人の選手は、

大技を狙いに来る。

それで失敗して自滅する

パターンが多い。

 

それに対して、日本人選手は、

「型」を重視する。

 

型、というのは、

たとえば連続技。

 

小さな技をつなげていき、

ひとつの流れを作る。

 

それが「型」だ。

 

戦い方がカタイといえる。

 

なので、

アメリカ人プレイヤーとは

やりにくりらしい。

 

東大卒プロゲーマー (PHP新書)

東大卒プロゲーマー (PHP新書)

 

 

なぜかというと、

米プレイヤーは、かかんに、

とにかく攻めてくるからだ。

 

確実にイケる、という部分ではなく、

とにかくイケイケで来る。

 

そこに、日本人選手の

リズムが崩されるというのだ。

 

反対に、日本人が

やりやすい相手は、

たとえばフランス人選手だ。

 

フランスのプレーヤーは、

「待ち」が多い。

待ちスタイルだ。

 

日本人にはそれがチャンスだ。

 

どういうことかというと、

フランス人が待っている間に、

日本人選手は、しっかり

スキをうかがい、

技を発動するのだ。

 

だからその意味で、

「やりやすい」相手と言える。

 

まとめ

”相手に合わせる”のは、

あるていどは必要だ。

 

しかしそれ以上に、

「自分の型」をつくり上げるのが、

再優先だ。

 

 

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モード

筆者にはモードがふたつ、ある。

ひとつは、α(アルファ)モード。

αモード

 

これはおもに、

「自営モード」とも呼んでいる。

 

ようするに、

エサは自分で狩りに行くしか無いのだ。

現地調達。

 

自己責任。

 

組織人とは間逆なのだ。

しごとは、

だまってたらまわってこない。

 

自分から取りに行く。

自分から生み出す。

 

たとえば、「受け答え」に関して。

組織人は、

過不足ない対応が求められる。

 

それ以上でもそれ以下でもない。

つねにジャストを求められる。

ちょうどぴったりの反応。

ジャストアンサー。

 

当然だ。

労働者とは使用人だ。

労働者とは道具だ。

それも、使い捨ての。

 

いらなくなったら、ポイだ。

え?

違うの?

 

αモードでは、

ジャストアンサーではたりない。

プラスアルファが必要。

 

あまけに、あめちゃんを

くれるくらいなかんじ。

 

アルファモードトはつまり、

「生き方」だ。

 

自分をめいいっぱい開放する。

自分をポート開放。

セルフポート開放。

 

  • αモード。
  • セルフポート開放。
  • イケイケオラオラ。
  • 俺様オーラ。
  • 得点稼ぎ
  • ポイントゲッター

 

また、アルファモードでは、

存在感とイコールになる。

 

存在感の例、

ようは、

ペラペラしゃべらなくてよい。

そこにいるだけで、

成立する。

 

間が持つ。

 

しかしまぁ、それだけでは

ライバルたちに追い抜きを

許しているようなものなので、

そこは場所を守る。

 

そこで、必要なのが、

サイコパスマインド。

 

代表選手、

カズレーザー。

 

βモード

つづいてβモードの解説。

結論から言えば、

αの逆。すべて逆。

 

サラリーマンモード。

波風を立てない。

和を尊ぶ。

ジャマをしない。

いらんことしない。

よけいなしごとを増やさない。

労働者モード。

道具モード。

消耗品モード。

 

そうすれば、

とりあえず生きていける。

しがみつく。

 

それがβモード。

ハッキリ言って、

ぜんぜんモテない。

書いてて分かる。

 

こんなニンゲンに、

1ミリの魅力もない。

有るわけがない。

 

しかし、組織や、女は、

男にβをもとめる。

 

なぜか?

マウントするためだ。

 

テストステロンについて

テストステロンとは、

かんたんに言えば、

男らしさホルモンだ。

 

女はこれが大好物だ。

しかし同時に、

組織内において、

テストステロンは、

排除されやすい。

 

理由は、

和を乱すから。

 

いったい、なにをいって

いるんだろう。

お前たちがのぞんでいる

ものだろう?

 

それなのに排除の対象としたがるのだ。

 

これはイメージすると、

「ケガ一つせず、いっぱい遊べ」

「だまってしゃべれ」

「健康的にやせる」

「細マッチョ」

これらと同じ考え方。

 

ぜんぶ女のフレーズ。

ぜんぶ不可能、

理論上無理なものばかり。

 

でも、そういうのを求めているのだ。

 

組織内においては、

人ひとりくらいを

つぶすのはカンタンだ。

 

だかたアルファってると、

ソッコーで目をつけられる。

β君を求められる。

 

しかしだからといって、

業務時間を離れた時にも

βでいたら、

もうそれはただのバカだ。

 

はっきりいって、

もったいない。

 

βモードは、演技派だ。

演技で行ける。

 

演技とは憑依だ。

 βくんを、

のりうつらせるのだ。

 

あなたはどっち?

αモードは、

「生き方」そのものなのだ。

 

自分に正直に。

大なり小なり、

人は間違いを起こす。

 

しかしそのたびに、

時には反撃を食らっても、

それでも立ち上がる。

 

その先に、果実があるから。

それを知っているから。

 

成功したのは、

運をつかんだからだ。

失敗したのは、

全部自分のせいだ。

もうそれでしかない。

 

それ以外無い。

 

なぜ練習するのか?

それは、腕が鈍らないようにするためだ。

 

つまり、

練習とは毎日するのだ。

練習をしごとと置き換えても良い。

 

しごとは毎日するものだ。

休むとそのぶん、

腕が落ちるのだ。

 

それはいやだ。

だからやるのだ。

きわめてシンプルな理由だ。

 

 

 

ツムツム、ヒャッハー感

子供がツムツムうるさい。

ツムツムというのは、ソシャゲだ。

ようするにスマホの無料ゲームだ。

 

やったことはないけど、

おそらく、パズドラとか、

モンストなんかとおなじだろう。

 

ソシャゲっていうのは、

操作が簡単だ。

 

タップするだけ、とか、

引っ張るだけ、とか。

 

でもヒトはそれだけだと、

飽きてしまう。

なので、「なにか」を

与えなければいけない。

 

たとえば、

画面がキレイだとか、

キモチイイ音。

 

数字。

 

しかし、いちばんは、

能力拡張錯覚。

きっとこれだろうと思う。

 

能力拡張錯覚というのは、

たとえば車。

 

初めて車に乗った時。

自分がまるですごい能力を

手に入れたかのような気分になった。

 

車の操作はというと、

ペダルを踏むだけ。

 

オートバイにしてもおなじ。

 

あるいはたとえば、

パソコン。

内容は、おなじことだ。

 

ここで言う「能力拡張」というのは、

簡単にいえば”ヒャッハー感”だ。

 

まわりとの圧倒的な”ヒャッハー感”。

それと、カネを引き換えにするのだ。

しかもそれが、

「データ」っていうね。

 

なんともムナシイ話なんだけれど。

まぁそれがその人の幸福追求なんだから、

仕方がない。

 

簡単に。

お手軽に。

気楽に。

面倒な手続きなしに。

 

ここでの間違いは、

「安心感」とか、

「肯定感」ではないということだ。

敵をぶっ潰す。

それが幸福追求なのだ。

 

あるいはおもしろいところでは、

ゲーム内にはサポート役に徹する

プレイヤーも存在する。

 

サポートするために、

ステータスを上げる。

そのための課金。

 

批判はしょせん嫉妬

アプリの制作は、個人でも可能だ。

その個人が、おなじく個人と

売買契約を取る。

 

時代はそこまで来ているのだ。

つまり、いちいち会社に就職して

どうこう、ではない。

 

そんなことはカンケーなくて、

自分自身が、お客と売買契約を結ぶ。

そういうことだ。

 

それで、実際はそのスマホ

親のだったとか、

だからなんだっていうのか。

 

じゃあスマホでなくて、

子供が持ってる小銭。

その小銭は誰のものなのか?

っていう話。

 

子供に小銭を持たせて、

タバコを買いに行かせる。

 

そんなおおらかな時代があった。

 

それとどう違うのか?

まったくわからない。

いっしょだよ。

 

そのカネが、スマホに流れた。

それが悔しいだけだ。

 

違うのか?

いや、絶対に違わない。

 

優先順位

ビジネス(に限らず)なんでも、

とりあえず”試してみる”ことだ。

 

何でもいい。

ビジネスは、お客様のことを

考えて行う。

 

そんな考えも、たしかにあってもいい。

しかしそれはもちろん、

一つの考えだ。

 

たいせつなのは、

”それだけではない”ということだ。

 

筆者は「引っかけ式」だ。

言いいえれば、「誘惑」だ。

 

それで十分だ。

相手は、筆者の誘惑に勝てなかった。

ただそれだけのことなのだ。

 

それを、「信用してた」とか

なんとか言うのであれば、

それはあまりにも幼稚だ。

 

ここできちんと宣言する。

そんなことは言われてはいない。

もしもの話だ。

しかしこまったことに、

ifの話が通じない人もいる。

 

世の中には本当にいろんなひとがいる。

たとえば筆者は極力、

漢字を使わないようにしている。

 

驚くべきことに、

常用漢字がわからないひとがいる。

 

フツーにいる。

 

さっきのツムツムとおなじだ。

「ユーザー目線」とはそういうことだ。

 

コントロールする

ぶっちゃけてしまうと、

自分より上の者を、

コントロール出来ない。

 

だから、目下を支配する。

言葉で言ってしまうと、

なんとも身も蓋もない。

 

しかし、「そういうこと」なのだ。

もうこれは「事実」だ。

ようはそれと正直に向かい合うかどうか、

そういうことだ。

 

 

 

短時間労働のワナ

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裁量労働」ってあるじゃないですか。

全て自分の判断で、

やっていくっていう。

 

あれについて、どう思うか?

 

まぁ、ヒトは自分に都合よく

考えるイキモノなので、

ようするに、

「これでラクができる」とか

思うわけですよ。

 

ぜんぜんちがいますから。

 

だって考えてみてください。

なんにもない素人。

なんの学歴、

職歴、人生経験。

 

とにかく何もないヒト。

そんな「何もないヒト」が、

「その世界」に飛び込んで。

その世界のベテランと、

同じ仕事をする。

 

例えば同じ1時間で、

どれだけのことができるか?

 

つまり、

そういうことだ。

 

「そのしごと」を、

ベテランと同じ時間で

終わるのか?

 

そもそも、

「しごとの結果」を、

ベテランと同等の質で、

出せるのか?

 

もちろん、同じ時間で。

 

まぁ、無理なんでしょう。

ハイ、結論、無理です。

 

あきらめてください。

 

そうじゃなく、実際は、

短時間ばかりを

全面に押し出す。

 

気がつきました?

何もないヒトが短時間で

できるしごとなんてのは、

言っちゃ悪いけど、

しょせん「その程度のしごと」

なわけですよ。

 

いや、ほんとに。

 

自身を持てるか?

その仕事をに自分をもてるか?

自身を持って言えるか?

 

たとえば家族、友人にたいして。

今やってる短時間なしごと。

あるいは、やろうとしていること。

 

・・そうじゃない。

そうじゃないんだ。

 

時間は、かかるもの。

時間は、かけるもの。

 

それでやっと、

手に入れられるかどうか。

 

やりつづけるには、

理由が必要。

 

たとえば「情熱」

あるいはネガティブな理由だったり。

「あいつのせいで」とか。

 

まぁとにかく、いずれにしても、

「やり続けること」だ。

 

それでやっと、

手に入れられるか、どうか。

 

それは、やってみないとわからない。

無責任かもしれない。

 

でも、言ってみれば、

ヒトはみんな無責任だ。

それがふつうだ。

 

良いとか悪いじゃない。

それがふつうなのだ。

その常識の中で、

自分がどう動くか。

それが重要だ。

 

一喜一憂しない

いちいち騒がない。

いちいち騒ぐのは子供だ。

幼稚だ。

幼い。

 

大人なら、やったとしても

「騒ぐフリ」だ。

 

トラブルが起こっても、

それに対して、

冷静に対処する。

それだけだ。

 

べつにどうこう思う

必要がない。

 

ところでしかし、

日本は平和だ。

今日も平和だ。

 

何もない。

何もおこらない。

でもなにかおこしたい。

というのは、

何かを得るには、

「きっかけ」が必要だ。

 

きっかけづくり。

なにもないところから?

そう、なにもないとことから、

「なにかある」ようにする。

 

0から1を生み出す。

そこだ。

そこが重要だ。

ムズカシイんだけど。

無から有を生み出す作業。

 

そこに興味がある。

 

オープナー

「無から有」ということでいえば、

ナンパだ。

ナンパというと、

聞こえが悪い?

 

であれば、言いかえる。

無関係の相手と、

やや強引なやり方でもいい。

とにかくきっかけをつくり、

仲良くなる。

 

そんなことが可能だったら?

それはすごいことだ。

無から有、

という意味で言えば、

それはクリエイティブなのだ。

 

ナンパはクリエイティブ。

ナンパ師はクリエイター。

 

スイッチを押すだけ

考え方、見かたによっては、

「素材」はそのあたりにいる。

 

そのへんにウロウロしている。

それを、「引っかける」だけ。

それだけ。

 

素材は、待っている。

引っかけられるのを。

であれば、

それをしないのは、失礼だ。

悪だ。悪い。

やるべきなのだ。

体が動く。

体を動かす。

無意識に。

無の境地。

それがフローだ。

 

きちんと”SHOW”になってる

いちばんのまちがいは、

「自己満足」だ。

 

もちろん、

まずは自分が満足することが、

再優先だ。

もちろんそうだ。

 

しかし、”そんなもの”は

早い段階で、終わる。

 

つまり、フェーズとしては、

早い段階で、終わるフェーズだ。

 

ようするに、「自己満足」では

先がないのだ。

 

いちおうエクスキューズする。

むやみに誤解されないように。

 

自己満足が悪いといってない。

むしろ必要だ。

ただ第一フェーズにすぎない、

そう言っているのだ。

 

ところでショウだ。

ショウにする。

すべてを。

それはすごいことだ。

 

たとえば、ただ食べるだけで、

面白い人がいる。

 

というと、本当にただ食べているだけと、

人は思うかもしれない。

 

もちろん、本当にただ食べているだけで

面白い人がいる。

その場合は、その人は

「極めた人」といえる。

 

まぁそんなのは一部なわけだ。

そうでないひと。

ほとんどの人は、

そうでない人だ。

 

だから、どうするか?

そこで「技術」だ。

技術の必要性だ。

テクニック。

小手先。

たとえ小手先であっても、

かわまない。

 

それでもいい。

ないよりは、

あったほうがいい。

そういうことだ。

 

やらない善より、やる偽善

結論から言えば、

「偽善」で良い。

 

良い、というのは、

ある程度のところまでは、

偽善でいけるということだ。

 

筆者は思う。

別にトップはとらなくて良い。

ある程度でいい。

それで十分だ。

 

つまりたとえば、

イチロー選手だ。

彼は、めちゃくちゃに努力をしている。

まぁその努力が、

彼にとってはアタリマエのこと、

とかそんなことが

言いたいんじゃない。

 

つまり、イチローの裏で、

野球自体をやめた人が、

たくさんいる、ということだ。

 

考えかたによっては、

早いとこやめたほうが、

いんじゃね?ってこと。

 

早く見切りをつけて、

別の生き方に時間と情熱を注ぐ。

そのほうが、彼にとっては良い。。

 

そういう場合だってある。

ふつうにある。

 

たとえば、お笑い芸人。

15年とか、20年とか、

ずっと売れない。

 

でもやめずに続けている。

いつか、売れると思っている。

夢を持つことはいい。

それ自体は否定しない。

 

しかし、希望の薄いところで、

いつまでも夢にすがって、

きちょうな時間を捨てていくというなら、

それはムダだ。

 

もったいないといえる。

 

自分で変える

なんだかうすうす

感づいていることだが、

人生は自分で変えられるらしい。

 

筆者はもちろん、

相手を、社会を、変えようとは

思わない。

全く思わない。

 

しかし自分なら変えられる。

相手を引っかけるくらいなら、

可能だ。

まずはそこだ。

自分が食い込める余地。

そこを探すのだ。

 

あるいは、つくるのだ。

穴を見つけたら、埋める。

それはふつうのことだ。

 

穴がなければ、掘るのだ。

それでいいのだ。

だって誰も止めはしないから。

 

誰にもメーワクはかけない。

民事だ。

当事者同士だ。

だからいいのだ。

どうせ自分のことだ。

 

まとめ

まぁそういう意味では、

短時間労働も、

ありかもしれない。

 

つまりそれが、

その人にとっての幸福追求なのだ。

幸福追求権。

 

しかしそれは、

筆者にとっては愚行権だ。

それは事実だ。

 

だからそれにたいして筆者が

どんな「偽善」ができるか、

そういう「ゲーム」という

見かたもできる。

 

 

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”時間を変換する”という考え

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”時間をつぶす”というくらいだから、

なにもしてないと、

時間は失ってしまうと、

みんな思っているらしい。

 

確かに一見そうかもしれない。

おなじ時間でも、

なにもしないよりは、

その時間でなにかひとつ

仕事ができたのではないか?

 

そう考えると、

時間のムダづかいは、

もったいないといえる。

 

しかしホントそうだろうか。

 

何もしない時間ーこれを筆者は

「最適化」とか「整理中」と考えるーは、

頭のなかで、情報を

かきまぜてる、かくはんしてる、

と思っている。

 

つまり、一見なにもしてないんだけど、

しっかりと体には染み込んでいる、

というか。

馴染んでいる途中というか。

 

人間なので、なにか刺激を受けたら、

ハイじゃあ次からできますね、

という訳にはいかない。

 

なじむまでに、個人差がある、

ということだ。

 

ただまぁそれを理解しないヒトがいるので、

そういうヒトにとっては、

たしかに「何もしてない」と

思われるのだろう。

 

しかし「なにもしてない」

というのは、非常に便利な言葉だ。

非常に攻撃性がある。

 

自分ばかりが優位に立てる。

相手を非難することで

自分を隠す。

こそくなやりかただ。

 

しかし、いい大人が、

普通にやっているのだ。

宣言する。

そういうのには、

近づくべきではない。

バカは伝染する。

いや本当に。

 

時間でもうひとつ。

 

道具の使いみち

労働力、ってのはまぁ道具だ。

そこに思いとか、

個人の事情なんてのは、

まるでカンケーない。

 

それを考えるのは、

まさに労働者がわの意見だ。

考えを変えなければならない。

少なくとも筆者は。

 

ポジション、というか。

沈みゆく泥船になんか、

いっしょにのってなんか

いられない。

 

ズブズブと、

沈んでいっているのだ。

それを「知らなかった」

「気づかなかった」を

理由にして、いっしょに

サヨーナラ、なんてできない。

 

生存は確率だ。

生存率。

それを高めるのだ。

時間と引き換えに。

 

ここで、時間との変換を考える。

ニンゲンがふつーに働いくと、

たとえばまぁ時給がナンビャク円

とかになる。

 

しかし、「ウェブにやらせる」と

どうなるか。

筆者はつねづね思っている。

現代の奴隷はウェブだと。

 

なんの文句も言わず、

筆者が入力した情報を

表示し続けてくれるのである。

 

そして稼いでくれる。

 

その間、筆者は何をするか。

遊ぶ?

もちろん、そんなことはない。

 

「別のしごと」ができるのだ。

ここで「やったー遊べる」というのは、

はっきりいってシロート。

 

やがて自滅する。

というか楽するために

働くっていうのが、

違うと思う。

 

たしかに一つの見方として、

「合理化」はある。

 

合理化なんていうけど、

ようするに手抜きだ。

メンドーなんだ。

しかし、そのおかけで、

短時間でいくつもの仕事が

こなせる。

 

やることは無数にあるのだ。

そして、それらを

やればいい、あるいは

やらなければらならいと、

わかっているのもまた

事実だ。

 

おもしろいことに、

筆者にとってはふつーなことも、

知らない人は知らない。

 

たとえば、おばちゃん連中。

最近LINEをおぼえたのか、

まぁラインラインうるさい人がいる。

 

でもそれだけだ。

「それ以上のことは知らない」

いや、せいかくにいういと

「知ろうとしない」

といったところか。

 

それじゃあ、永遠の

消費者で終わるのだ。

 

いやまぁ、もちろん

筆者はそれ全然

かまわないわけだが。

 

それが彼らの幸福追求の

やり方なのだ。

 

それに対して、

筆者の幸福追求とは、

「事実に対して自分が

どう貢献できるか」

 

もちろんマネタイズありきだ。

「がんばったからいいや」

ではない。

 

そんなのはいいわけだ。

でも日本人はやさしい。

 

頑張るだけで、

カネになる。

 

焼きそば食って500円

友人宅のホムパに、

オタク客が来た。

 

オタクは本当に「飼いならされ」

ている。

 

彼らはまず、

焼きそばを500円で買う。

(その料金設定も

どうかと思うが)

 

それで終わりではない。

そのあと、

「売り子の女に

食べさせられる権利」

なるものを、

「買うかどうかの選択」が

できるのだ。

 

500円。

もちろん買う。

っていうか、それが

目的だったりする。

 

つまり目的達成までの

500円は、いわば

「捨て銭」なのだ。

 

すごい。

なにがって?

捨て銭って考えが?

支払うオタクが?

 

う~ん、まぁ両方かな。

おなじ阿呆なら、

なんとかってやつ。

 

もちろん筆者は、

サービス側。

 

別の商品では、

「ワンドリンク500円を

買うと、女の手の甲に

キスできる権利(500円)を

買えます」

 

とか、

室内に冷房をかけず、

暑くさせ、

ドリンク購入率を上げる、

とか。

 

オタクたちは、

そんなことになんの違和感もない。

 

ただただ、アイドルを

見て盛り上がるだけ。

 

なんというか、

これもまあ一つの事実なわけだ。

そこで、

キャッシュポイントを探し、

サービスを提供し、

マネタイズする。

 

ただそれだけのこと、

なんだよね。

 

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