孤独の読書

考える。生き残るために

モード

筆者にはモードがふたつ、ある。

ひとつは、α(アルファ)モード。

αモード

 

これはおもに、

「自営モード」とも呼んでいる。

 

ようするに、

エサは自分で狩りに行くしか無いのだ。

現地調達。

 

自己責任。

 

組織人とは間逆なのだ。

しごとは、

だまってたらまわってこない。

 

自分から取りに行く。

自分から生み出す。

 

たとえば、「受け答え」に関して。

組織人は、

過不足ない対応が求められる。

 

それ以上でもそれ以下でもない。

つねにジャストを求められる。

ちょうどぴったりの反応。

ジャストアンサー。

 

当然だ。

労働者とは使用人だ。

労働者とは道具だ。

それも、使い捨ての。

 

いらなくなったら、ポイだ。

え?

違うの?

 

αモードでは、

ジャストアンサーではたりない。

プラスアルファが必要。

 

あまけに、あめちゃんを

くれるくらいなかんじ。

 

アルファモードトはつまり、

「生き方」だ。

 

自分をめいいっぱい開放する。

自分をポート開放。

セルフポート開放。

 

  • αモード。
  • セルフポート開放。
  • イケイケオラオラ。
  • 俺様オーラ。
  • 得点稼ぎ
  • ポイントゲッター

 

また、アルファモードでは、

存在感とイコールになる。

 

存在感の例、

ようは、

ペラペラしゃべらなくてよい。

そこにいるだけで、

成立する。

 

間が持つ。

 

しかしまぁ、それだけでは

ライバルたちに追い抜きを

許しているようなものなので、

そこは場所を守る。

 

そこで、必要なのが、

サイコパスマインド。

 

代表選手、

カズレーザー。

 

βモード

つづいてβモードの解説。

結論から言えば、

αの逆。すべて逆。

 

サラリーマンモード。

波風を立てない。

和を尊ぶ。

ジャマをしない。

いらんことしない。

よけいなしごとを増やさない。

労働者モード。

道具モード。

消耗品モード。

 

そうすれば、

とりあえず生きていける。

しがみつく。

 

それがβモード。

ハッキリ言って、

ぜんぜんモテない。

書いてて分かる。

 

こんなニンゲンに、

1ミリの魅力もない。

有るわけがない。

 

しかし、組織や、女は、

男にβをもとめる。

 

なぜか?

マウントするためだ。

 

テストステロンについて

テストステロンとは、

かんたんに言えば、

男らしさホルモンだ。

 

女はこれが大好物だ。

しかし同時に、

組織内において、

テストステロンは、

排除されやすい。

 

理由は、

和を乱すから。

 

いったい、なにをいって

いるんだろう。

お前たちがのぞんでいる

ものだろう?

 

それなのに排除の対象としたがるのだ。

 

これはイメージすると、

「ケガ一つせず、いっぱい遊べ」

「だまってしゃべれ」

「健康的にやせる」

「細マッチョ」

これらと同じ考え方。

 

ぜんぶ女のフレーズ。

ぜんぶ不可能、

理論上無理なものばかり。

 

でも、そういうのを求めているのだ。

 

組織内においては、

人ひとりくらいを

つぶすのはカンタンだ。

 

だかたアルファってると、

ソッコーで目をつけられる。

β君を求められる。

 

しかしだからといって、

業務時間を離れた時にも

βでいたら、

もうそれはただのバカだ。

 

はっきりいって、

もったいない。

 

βモードは、演技派だ。

演技で行ける。

 

演技とは憑依だ。

 βくんを、

のりうつらせるのだ。

 

あなたはどっち?

αモードは、

「生き方」そのものなのだ。

 

自分に正直に。

大なり小なり、

人は間違いを起こす。

 

しかしそのたびに、

時には反撃を食らっても、

それでも立ち上がる。

 

その先に、果実があるから。

それを知っているから。

 

成功したのは、

運をつかんだからだ。

失敗したのは、

全部自分のせいだ。

もうそれでしかない。

 

それ以外無い。

 

なぜ練習するのか?

それは、腕が鈍らないようにするためだ。

 

つまり、

練習とは毎日するのだ。

練習をしごとと置き換えても良い。

 

しごとは毎日するものだ。

休むとそのぶん、

腕が落ちるのだ。

 

それはいやだ。

だからやるのだ。

きわめてシンプルな理由だ。

 

 

 

ツムツム、ヒャッハー感

子供がツムツムうるさい。

ツムツムというのは、ソシャゲだ。

ようするにスマホの無料ゲームだ。

 

やったことはないけど、

おそらく、パズドラとか、

モンストなんかとおなじだろう。

 

ソシャゲっていうのは、

操作が簡単だ。

 

タップするだけ、とか、

引っ張るだけ、とか。

 

でもヒトはそれだけだと、

飽きてしまう。

なので、「なにか」を

与えなければいけない。

 

たとえば、

画面がキレイだとか、

キモチイイ音。

 

数字。

 

しかし、いちばんは、

能力拡張錯覚。

きっとこれだろうと思う。

 

能力拡張錯覚というのは、

たとえば車。

 

初めて車に乗った時。

自分がまるですごい能力を

手に入れたかのような気分になった。

 

車の操作はというと、

ペダルを踏むだけ。

 

オートバイにしてもおなじ。

 

あるいはたとえば、

パソコン。

内容は、おなじことだ。

 

ここで言う「能力拡張」というのは、

簡単にいえば”ヒャッハー感”だ。

 

まわりとの圧倒的な”ヒャッハー感”。

それと、カネを引き換えにするのだ。

しかもそれが、

「データ」っていうね。

 

なんともムナシイ話なんだけれど。

まぁそれがその人の幸福追求なんだから、

仕方がない。

 

簡単に。

お手軽に。

気楽に。

面倒な手続きなしに。

 

ここでの間違いは、

「安心感」とか、

「肯定感」ではないということだ。

敵をぶっ潰す。

それが幸福追求なのだ。

 

あるいはおもしろいところでは、

ゲーム内にはサポート役に徹する

プレイヤーも存在する。

 

サポートするために、

ステータスを上げる。

そのための課金。

 

批判はしょせん嫉妬

アプリの制作は、個人でも可能だ。

その個人が、おなじく個人と

売買契約を取る。

 

時代はそこまで来ているのだ。

つまり、いちいち会社に就職して

どうこう、ではない。

 

そんなことはカンケーなくて、

自分自身が、お客と売買契約を結ぶ。

そういうことだ。

 

それで、実際はそのスマホ

親のだったとか、

だからなんだっていうのか。

 

じゃあスマホでなくて、

子供が持ってる小銭。

その小銭は誰のものなのか?

っていう話。

 

子供に小銭を持たせて、

タバコを買いに行かせる。

 

そんなおおらかな時代があった。

 

それとどう違うのか?

まったくわからない。

いっしょだよ。

 

そのカネが、スマホに流れた。

それが悔しいだけだ。

 

違うのか?

いや、絶対に違わない。

 

優先順位

ビジネス(に限らず)なんでも、

とりあえず”試してみる”ことだ。

 

何でもいい。

ビジネスは、お客様のことを

考えて行う。

 

そんな考えも、たしかにあってもいい。

しかしそれはもちろん、

一つの考えだ。

 

たいせつなのは、

”それだけではない”ということだ。

 

筆者は「引っかけ式」だ。

言いいえれば、「誘惑」だ。

 

それで十分だ。

相手は、筆者の誘惑に勝てなかった。

ただそれだけのことなのだ。

 

それを、「信用してた」とか

なんとか言うのであれば、

それはあまりにも幼稚だ。

 

ここできちんと宣言する。

そんなことは言われてはいない。

もしもの話だ。

しかしこまったことに、

ifの話が通じない人もいる。

 

世の中には本当にいろんなひとがいる。

たとえば筆者は極力、

漢字を使わないようにしている。

 

驚くべきことに、

常用漢字がわからないひとがいる。

 

フツーにいる。

 

さっきのツムツムとおなじだ。

「ユーザー目線」とはそういうことだ。

 

コントロールする

ぶっちゃけてしまうと、

自分より上の者を、

コントロール出来ない。

 

だから、目下を支配する。

言葉で言ってしまうと、

なんとも身も蓋もない。

 

しかし、「そういうこと」なのだ。

もうこれは「事実」だ。

ようはそれと正直に向かい合うかどうか、

そういうことだ。

 

 

 

短時間労働のワナ

f:id:dame381:20160504090637j:plain

裁量労働」ってあるじゃないですか。

全て自分の判断で、

やっていくっていう。

 

あれについて、どう思うか?

 

まぁ、ヒトは自分に都合よく

考えるイキモノなので、

ようするに、

「これでラクができる」とか

思うわけですよ。

 

ぜんぜんちがいますから。

 

だって考えてみてください。

なんにもない素人。

なんの学歴、

職歴、人生経験。

 

とにかく何もないヒト。

そんな「何もないヒト」が、

「その世界」に飛び込んで。

その世界のベテランと、

同じ仕事をする。

 

例えば同じ1時間で、

どれだけのことができるか?

 

つまり、

そういうことだ。

 

「そのしごと」を、

ベテランと同じ時間で

終わるのか?

 

そもそも、

「しごとの結果」を、

ベテランと同等の質で、

出せるのか?

 

もちろん、同じ時間で。

 

まぁ、無理なんでしょう。

ハイ、結論、無理です。

 

あきらめてください。

 

そうじゃなく、実際は、

短時間ばかりを

全面に押し出す。

 

気がつきました?

何もないヒトが短時間で

できるしごとなんてのは、

言っちゃ悪いけど、

しょせん「その程度のしごと」

なわけですよ。

 

いや、ほんとに。

 

自身を持てるか?

その仕事をに自分をもてるか?

自身を持って言えるか?

 

たとえば家族、友人にたいして。

今やってる短時間なしごと。

あるいは、やろうとしていること。

 

・・そうじゃない。

そうじゃないんだ。

 

時間は、かかるもの。

時間は、かけるもの。

 

それでやっと、

手に入れられるかどうか。

 

やりつづけるには、

理由が必要。

 

たとえば「情熱」

あるいはネガティブな理由だったり。

「あいつのせいで」とか。

 

まぁとにかく、いずれにしても、

「やり続けること」だ。

 

それでやっと、

手に入れられるか、どうか。

 

それは、やってみないとわからない。

無責任かもしれない。

 

でも、言ってみれば、

ヒトはみんな無責任だ。

それがふつうだ。

 

良いとか悪いじゃない。

それがふつうなのだ。

その常識の中で、

自分がどう動くか。

それが重要だ。

 

一喜一憂しない

いちいち騒がない。

いちいち騒ぐのは子供だ。

幼稚だ。

幼い。

 

大人なら、やったとしても

「騒ぐフリ」だ。

 

トラブルが起こっても、

それに対して、

冷静に対処する。

それだけだ。

 

べつにどうこう思う

必要がない。

 

ところでしかし、

日本は平和だ。

今日も平和だ。

 

何もない。

何もおこらない。

でもなにかおこしたい。

というのは、

何かを得るには、

「きっかけ」が必要だ。

 

きっかけづくり。

なにもないところから?

そう、なにもないとことから、

「なにかある」ようにする。

 

0から1を生み出す。

そこだ。

そこが重要だ。

ムズカシイんだけど。

無から有を生み出す作業。

 

そこに興味がある。

 

オープナー

「無から有」ということでいえば、

ナンパだ。

ナンパというと、

聞こえが悪い?

 

であれば、言いかえる。

無関係の相手と、

やや強引なやり方でもいい。

とにかくきっかけをつくり、

仲良くなる。

 

そんなことが可能だったら?

それはすごいことだ。

無から有、

という意味で言えば、

それはクリエイティブなのだ。

 

ナンパはクリエイティブ。

ナンパ師はクリエイター。

 

スイッチを押すだけ

考え方、見かたによっては、

「素材」はそのあたりにいる。

 

そのへんにウロウロしている。

それを、「引っかける」だけ。

それだけ。

 

素材は、待っている。

引っかけられるのを。

であれば、

それをしないのは、失礼だ。

悪だ。悪い。

やるべきなのだ。

体が動く。

体を動かす。

無意識に。

無の境地。

それがフローだ。

 

きちんと”SHOW”になってる

いちばんのまちがいは、

「自己満足」だ。

 

もちろん、

まずは自分が満足することが、

再優先だ。

もちろんそうだ。

 

しかし、”そんなもの”は

早い段階で、終わる。

 

つまり、フェーズとしては、

早い段階で、終わるフェーズだ。

 

ようするに、「自己満足」では

先がないのだ。

 

いちおうエクスキューズする。

むやみに誤解されないように。

 

自己満足が悪いといってない。

むしろ必要だ。

ただ第一フェーズにすぎない、

そう言っているのだ。

 

ところでショウだ。

ショウにする。

すべてを。

それはすごいことだ。

 

たとえば、ただ食べるだけで、

面白い人がいる。

 

というと、本当にただ食べているだけと、

人は思うかもしれない。

 

もちろん、本当にただ食べているだけで

面白い人がいる。

その場合は、その人は

「極めた人」といえる。

 

まぁそんなのは一部なわけだ。

そうでないひと。

ほとんどの人は、

そうでない人だ。

 

だから、どうするか?

そこで「技術」だ。

技術の必要性だ。

テクニック。

小手先。

たとえ小手先であっても、

かわまない。

 

それでもいい。

ないよりは、

あったほうがいい。

そういうことだ。

 

やらない善より、やる偽善

結論から言えば、

「偽善」で良い。

 

良い、というのは、

ある程度のところまでは、

偽善でいけるということだ。

 

筆者は思う。

別にトップはとらなくて良い。

ある程度でいい。

それで十分だ。

 

つまりたとえば、

イチロー選手だ。

彼は、めちゃくちゃに努力をしている。

まぁその努力が、

彼にとってはアタリマエのこと、

とかそんなことが

言いたいんじゃない。

 

つまり、イチローの裏で、

野球自体をやめた人が、

たくさんいる、ということだ。

 

考えかたによっては、

早いとこやめたほうが、

いんじゃね?ってこと。

 

早く見切りをつけて、

別の生き方に時間と情熱を注ぐ。

そのほうが、彼にとっては良い。。

 

そういう場合だってある。

ふつうにある。

 

たとえば、お笑い芸人。

15年とか、20年とか、

ずっと売れない。

 

でもやめずに続けている。

いつか、売れると思っている。

夢を持つことはいい。

それ自体は否定しない。

 

しかし、希望の薄いところで、

いつまでも夢にすがって、

きちょうな時間を捨てていくというなら、

それはムダだ。

 

もったいないといえる。

 

自分で変える

なんだかうすうす

感づいていることだが、

人生は自分で変えられるらしい。

 

筆者はもちろん、

相手を、社会を、変えようとは

思わない。

全く思わない。

 

しかし自分なら変えられる。

相手を引っかけるくらいなら、

可能だ。

まずはそこだ。

自分が食い込める余地。

そこを探すのだ。

 

あるいは、つくるのだ。

穴を見つけたら、埋める。

それはふつうのことだ。

 

穴がなければ、掘るのだ。

それでいいのだ。

だって誰も止めはしないから。

 

誰にもメーワクはかけない。

民事だ。

当事者同士だ。

だからいいのだ。

どうせ自分のことだ。

 

まとめ

まぁそういう意味では、

短時間労働も、

ありかもしれない。

 

つまりそれが、

その人にとっての幸福追求なのだ。

幸福追求権。

 

しかしそれは、

筆者にとっては愚行権だ。

それは事実だ。

 

だからそれにたいして筆者が

どんな「偽善」ができるか、

そういう「ゲーム」という

見かたもできる。

 

 

kodoku.hatenablog.jp

 

 

kodoku.hatenablog.jp

 

 

kodoku.hatenablog.jp

 

 

kodoku.hatenablog.jp

 

 

 

”時間を変換する”という考え

f:id:dame381:20160504090637j:plain

”時間をつぶす”というくらいだから、

なにもしてないと、

時間は失ってしまうと、

みんな思っているらしい。

 

確かに一見そうかもしれない。

おなじ時間でも、

なにもしないよりは、

その時間でなにかひとつ

仕事ができたのではないか?

 

そう考えると、

時間のムダづかいは、

もったいないといえる。

 

しかしホントそうだろうか。

 

何もしない時間ーこれを筆者は

「最適化」とか「整理中」と考えるーは、

頭のなかで、情報を

かきまぜてる、かくはんしてる、

と思っている。

 

つまり、一見なにもしてないんだけど、

しっかりと体には染み込んでいる、

というか。

馴染んでいる途中というか。

 

人間なので、なにか刺激を受けたら、

ハイじゃあ次からできますね、

という訳にはいかない。

 

なじむまでに、個人差がある、

ということだ。

 

ただまぁそれを理解しないヒトがいるので、

そういうヒトにとっては、

たしかに「何もしてない」と

思われるのだろう。

 

しかし「なにもしてない」

というのは、非常に便利な言葉だ。

非常に攻撃性がある。

 

自分ばかりが優位に立てる。

相手を非難することで

自分を隠す。

こそくなやりかただ。

 

しかし、いい大人が、

普通にやっているのだ。

宣言する。

そういうのには、

近づくべきではない。

バカは伝染する。

いや本当に。

 

時間でもうひとつ。

 

道具の使いみち

労働力、ってのはまぁ道具だ。

そこに思いとか、

個人の事情なんてのは、

まるでカンケーない。

 

それを考えるのは、

まさに労働者がわの意見だ。

考えを変えなければならない。

少なくとも筆者は。

 

ポジション、というか。

沈みゆく泥船になんか、

いっしょにのってなんか

いられない。

 

ズブズブと、

沈んでいっているのだ。

それを「知らなかった」

「気づかなかった」を

理由にして、いっしょに

サヨーナラ、なんてできない。

 

生存は確率だ。

生存率。

それを高めるのだ。

時間と引き換えに。

 

ここで、時間との変換を考える。

ニンゲンがふつーに働いくと、

たとえばまぁ時給がナンビャク円

とかになる。

 

しかし、「ウェブにやらせる」と

どうなるか。

筆者はつねづね思っている。

現代の奴隷はウェブだと。

 

なんの文句も言わず、

筆者が入力した情報を

表示し続けてくれるのである。

 

そして稼いでくれる。

 

その間、筆者は何をするか。

遊ぶ?

もちろん、そんなことはない。

 

「別のしごと」ができるのだ。

ここで「やったー遊べる」というのは、

はっきりいってシロート。

 

やがて自滅する。

というか楽するために

働くっていうのが、

違うと思う。

 

たしかに一つの見方として、

「合理化」はある。

 

合理化なんていうけど、

ようするに手抜きだ。

メンドーなんだ。

しかし、そのおかけで、

短時間でいくつもの仕事が

こなせる。

 

やることは無数にあるのだ。

そして、それらを

やればいい、あるいは

やらなければらならいと、

わかっているのもまた

事実だ。

 

おもしろいことに、

筆者にとってはふつーなことも、

知らない人は知らない。

 

たとえば、おばちゃん連中。

最近LINEをおぼえたのか、

まぁラインラインうるさい人がいる。

 

でもそれだけだ。

「それ以上のことは知らない」

いや、せいかくにいういと

「知ろうとしない」

といったところか。

 

それじゃあ、永遠の

消費者で終わるのだ。

 

いやまぁ、もちろん

筆者はそれ全然

かまわないわけだが。

 

それが彼らの幸福追求の

やり方なのだ。

 

それに対して、

筆者の幸福追求とは、

「事実に対して自分が

どう貢献できるか」

 

もちろんマネタイズありきだ。

「がんばったからいいや」

ではない。

 

そんなのはいいわけだ。

でも日本人はやさしい。

 

頑張るだけで、

カネになる。

 

焼きそば食って500円

友人宅のホムパに、

オタク客が来た。

 

オタクは本当に「飼いならされ」

ている。

 

彼らはまず、

焼きそばを500円で買う。

(その料金設定も

どうかと思うが)

 

それで終わりではない。

そのあと、

「売り子の女に

食べさせられる権利」

なるものを、

「買うかどうかの選択」が

できるのだ。

 

500円。

もちろん買う。

っていうか、それが

目的だったりする。

 

つまり目的達成までの

500円は、いわば

「捨て銭」なのだ。

 

すごい。

なにがって?

捨て銭って考えが?

支払うオタクが?

 

う~ん、まぁ両方かな。

おなじ阿呆なら、

なんとかってやつ。

 

もちろん筆者は、

サービス側。

 

別の商品では、

「ワンドリンク500円を

買うと、女の手の甲に

キスできる権利(500円)を

買えます」

 

とか、

室内に冷房をかけず、

暑くさせ、

ドリンク購入率を上げる、

とか。

 

オタクたちは、

そんなことになんの違和感もない。

 

ただただ、アイドルを

見て盛り上がるだけ。

 

なんというか、

これもまあ一つの事実なわけだ。

そこで、

キャッシュポイントを探し、

サービスを提供し、

マネタイズする。

 

ただそれだけのこと、

なんだよね。

 

kodoku.hatenablog.jp

 

 

kodoku.hatenablog.jp

 

 

kodoku.hatenablog.jp

 

 

kodoku.hatenablog.jp

 

 

kodoku.hatenablog.jp

 

避難できない

f:id:dame381:20160504090637j:plain

ビジネスっての、「弱点の補強」だ。

 

たとえば、

その地域に水が不足している、

ということが、わかった。

 

そのとき、どうするか。

 

ある人は、「ふーん」と思うだけ。

 

ある人は「じゃあ寄付するか」

 

ある人は「ラッキー!商売のチャンスじゃん!

水を売りに行こっと」となる。

 

ここで筆者は、

どれが正解か、また、どれが

正しいのかなんて、言わない。

 

そんなつまらないことを、

言うつもりはない。

そんなことは、どうでもいい。

 

ある事実に対して、

どう受け止め考え、

どう動くか。

それのみだ。

 

世の中を変えたい、とか、

人に影響を与えたいとか、

そんなことまったく思わない。

 

ただ生きるのみ。

それがふつう、というか、

ほんらいの姿。

 

そこで「意味」とか求めるから、

おかしなことになる。

くだらない。

 

頭かくして。。

知人が、災害対策のために、

引っ越しをした。

 

以前は都内のマンションの10階にすんでいた。

しかし、これでは災害のときに

逃げられないと思った。

 

そこで、一軒家をさがした。

たどりついた先が、

埼玉のとある群。

 

となりは村。

閑静な住宅街。

いやほんとに!

すごく、いい。

 

でも筆者は思った。

 

たしかにここなら、

津波の心配はない。

 

でも、逃げるってどこへ?

友人宅のポイント

  • 庭付き一軒家
  • 災害対策ナシ(災害リュックなど)
  • ちかくに学校なし(避難所)

 

おお、、、

要するに、キミのいう「災害対策」とは、

”庭付き一戸建てに引っ越すこと”なのね。

 

う~ん。

筆者が思うに、まぁたしかに、

階が下のほうが、それはいいだろう。

 

しかし、ちかくに学校などの避難所がない、

災害グッズがないとかでは、

話にならない。

 

こまかくいうと、

浴槽に水をはってない、とか、

救急箱もない。

 

っていうか、いちばんは、

その日の、友人、

急アルで運ばれたしww

 

おいおいw

災害より先に、急アルとかw

 

なんというかまぁ、

そんなもんなんですよね、

結局、でもまあ金があります。

 

災害対策で引っ越しとか、

ふつうは出来ないから。

 

似た者同士の友人

その日、初対面だったのだけれど、

そいつの家に車好きの友人がいた。

 

ぱっと見、犯罪者のニオイ。

うわあ、だから痛車好きってやばいな。

 

まぁ、べつに筆者は、しょうじき、

外見にはこだわらない。

 

車好きでも、べつにいい。

百歩譲って、どうでもいい。

奴が別に何を好きだろうと、

筆者には別に関係ないから。

 

しかしなんだろうあの、

彼ら特有のコミュニケーションのとり方。

 

まぁ、話したいんだろうね、

自分のことを。

んで、筆者を、その「きいてくれる人」

かどうかを、ジャッジしてるんだろうね。

彼なりにw

 

そのアプローチが、雑というか、幼稚。

いってしまえば、

「あー車かいかえようかなー」

みたいな。

 

正直、筆者は車に興味はない。

なので、もうしわけないけど、

話し相手にはならない。

 

だってしらない単語とかいっぱいあるし。

まぁそれを補えるほどのトークスキルが

あなたにあれば、話し相手ぐらいには

なれるだろうけど、

ハッキリ言ってオマエの今のレベルだと、

オマエがドヤっておわり。

 

つまり、会話のラリーが続かないよ。

ってなことを、

わからないんだろうねクルマくん。

 

んでまぁこっちもそんな説教する

立場ではないので、自然と離れる。

 

まぁそういうことなんだろうね。

自然と離れるんだよ。

これが現実だ。

 

したければ自分から

痛車くんが、どう思ってるかしらないが、

きみとからむ気はない。

 

こっちにも選ぶ権利がある。

んで、君はもっと人を大切にしないといけない。

友達がほしいならば。

 

いまのままだと、言っちゃ悪いが、

みんな自然と離れる。

なぜか?

あたりまえじゃん、からみにくいから。

 

どこがからみにくいか?

まず見た目。

間合い。雰囲気。

相手が「絡みたい」と思わない。

 

口を開いたら自分の好きな話しかしない。

知識はあるのはわかるが、

相手もそうとは限らない。

っていうか、

どうじゃないのを前提にしたほうが良い。

 

っていうのが、わからないんだなー

ッて思った。

 

子どもでも、自分の意見言うことが、

とっても難しい子がいる。

 

はずかしい、とか、そもそも

どのように言ったらいいのか

(プロコトルが)わからない、

といのもいる。

 

痛車くんは、「オレの話がしたい」

「オレの話を聞け」タイプたんだと思う。

 

その場合、彼の話がもうバツグンに、

文句無しでおもしろければ別にいいんだけど、

もちろんそんなハズもなく。

 

くちを開けば、批判的なことしかしない。

今日も相手の批判で忙しい。

 

そんな奴と、近づきたくなんかない。

筆者はけっこう、人に影響されやすい、、

と思っていたが、

きっとそんなのだれだってそうだ。

 

悪い影響ほど、はやくまわる。

 

「今の痛車くん」には、用はない。

それを指摘するのは筆者ではない。

変えるとすればそれは「自分自身」だ。

 

軸をずらす

筆者は柔道をやっっている。

 

格闘技をやるとわかるが、

相手の「軸」をずらすことは、

とても重要なことだ。

 

初心者ほど、「チカラ」で押し切ろうとする。

ちからまかせで、なんとかしようとする。

初心者同士なら、それもまぁありだ。

 

ただ一歩間違えれば、

当然けがをするし、

なによりつかれる。

 

まぁ初心者は、たとえば年齢が

若かったり、あるいはアドレナリンが

出ていたりしてるので、

痛みや疲れに鈍くなっている。

 

しかし、しごとでもなんでもそうだが、

なれてくると、まわりが見えるようになる。

 

つまり相手のチカラを利用する、

ということができるようになる。

 

これも技術のひとつだろう。

それが「軸ずらし」だ。

 

べつに軸ずらしという呼び方が公式ではないが、

とにかく相手の軸をずらす。

 

言いかえれば、相手のリズムを狂わせる?

まぁそういうことが重要なわけだ。

 

リズム(ペース)を狂わせる

リズムをは言ってみればペースだ。

だれにでもペースがある。

 

それを「くずされる」のは、

相当なストレスだ。

それをしかけるのだ。

 

だいたい初心者ほど、チカラでくる。

ちからってのはつまり、いきおいだ。

いきおいでなんとかのり切ろうとする。

 

こちらも、そうはさせない。

がむしゃらなちから、といえば

聞こえはいいが、

ようするにやりかたが幼い。

 

すぐにコテンところぶ。

なぜなら幼稚だから。

 

たとえば、ささいな足払い。

あるいは、すこしカラダをゆするだけで。

すぐにガタつく。

 

接近戦で、ファタついたら、

もうそれは死を意味する。

 

あとは好きな様にやられるのを、

ただじっと待つのみ。

 

まぁ初心者のうちは、

やられるのも重要だ。

 

「やられる経験」といってもいい。

つまり、攻めるがわが、

どうやって攻めるのか。

 

自分のどういうスキを

ついてくるのか。

 

初心者には、それすらわからない。

やられた経験がないから。

 

事前に本で読んだり、動画で見たりと

できるが、やはり実践にかなうものはない。

 

いいからはやくやられてみろ、

ってことだ。

 

日常の中の軸ずらし

ちなみに筆者は、

人生の鍛錬のために、格闘技をやっている。

 

・・というとカッコつけて聞こえるが、

ようするに”強くなりたい”のだ。

 

もちろん、これをやったからといって、

確実に目的だ立っていできる保証なんで

どこにもない。

 

そんなことはわかっている。

しこうさくごなのだ。

 

しかしその分、気がつくこともある。

それが軸ずらしだ。

日常の中での軸ずらし。

 

日常の会話、その中で、

「知っている者」は、このテクニックを

多用してくる。

 

筆者はこれを上司にやられた。

伊藤(仮名)が筆者に話しかける。

筆者、返答しようとする。

 

すると、

「そうじゃなくて」とか、

「~~っていうか」という。

 

なので、こちらは

「そうですか、

~~ではなにですか」とこたえる。

 

だっておまえがそう言ったからな。

佐藤(仮名)もそうだ。

 

なにてめえが上だと思ってんのか

知らないが、いばるときだけ出てくる。

 

あとは知らない、

自分は関係ない、のスタイル。

筆者の目にはもう、

そうにしかうつらない。

 

だから対応ってのは重要だ。

伊藤や佐藤のように、

下のものをナメてると、

絶対に良くない。

 

よく芸能人がADを奴隷扱いして、

将来出世した当時のADに嫌われる、

というのを聞く。

 

当たり前である。

しかしおそらく、佐藤も伊藤も

そういう状況になったことがない、

あるいは筆者をなめている。

 

こういう老害は、すこし罰を与えないとダメだ。

経験上、いばる老害は、逃げるのもはやい。

 

自分より下のものをみつけて

いじめるのが楽しい人生なのだ。

 

そういう老害に限り、

しつけだのなんだのっていう。

 

ぜったいに言う。

間違いなく言う。

断言する。

絶対に筆者は正しい。

 

ちがうというのなら、

ちがうことを証明するがいい。

まぁできない。

誰にもできない。

よって筆者は正しい。

 

あいつらの給料のために、

筆者が苦しい思いをするなんて、

絶対に嫌だ。

 

だから筆者は組織には向いていない、

と思ってしまうのだが、

みんなそうじゃないのか?

と思ってしまう。

 

 

個人情報保護法の第23条(第三者提供の制限)

a) 法令に基づく場合


b) 人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき

c) 公衆衛生の向上又は児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき

d) 国の機関若しくは地方公共団体又はその委託を受けた者が法令の定める事務を遂行することに対して協力する必要がある場合であって、本人の同意を得ることにより当該事務の遂行に支障を及ぼすおそれがあるとき

 

ようは、

「他人であっても、緊急なら教えていいっすよ」

ってやつ。

 

まぁだからイメージするに。

 

災害が起こりましたー

ハイここは、施設です。

(保育施設だったり、介護だったり)

救急隊の人が、

意識不明の人を持って来ましたー

 

「スイマセン、このヒトって、

ここの利用者さんですか?

 

えーっと、、、

 

さてここで問題。

 

これまでの場合。

「個人情報は本人の許可がないと、

開示できませぇん☆テヘペロお♡」

 

救急隊「えっ」

 

しだいに弱っていく病人。

そして、、ちーん。

 

「あっ死んじゃいましたね☆

でもまぁしょうじゃないデスよねっ!

だって、本人の開示許可が、

なかったですもんねっw」

 

救急隊「そっスねっw」

 

クレーマーの自滅

ようはバカみたいに、

「個人情報個人情報」って、

お経を唱えた結果です。

自分で首を絞めてる。

 

そりゃそうだ、本人がどうかなるなんて、

そんな前提でモノを考えてなんか、

ないんだ。

 

「おれは死なない。だから

おれの個人情報は、おれの

許可無くして、第三者に公開しては

いけない」

・・・

「あっおれ死にそう。誰かおれの個人情報、

救急隊に、伝えてくんない?」

 

って、、、

んな都合よく、いくわけねーじゃんw

バカが自滅したんだよ。

んでバカはバカだから、

クレームをつける。

それが23条。

要するに「緊急時なら、開示してもよい」。

 

そこで現場は大混乱。

現場「えっ。”緊急時って、

いったい、いつのことッスか”」

みたいなね。

 

はっきり言って、現場とデスクじゃあ、

認識の差が違いすぎる。

デスクのヒトからしたら、大問題でも、

現場からすれば、別に大したことない、

そんなことは日常茶飯事、

ということは、いくらでもある。

 

でもデスクはバカクレーマー

言うことを聞く。

デスクは現場に指示を出す。

現場、大迷惑。

 

ちから関係で言うと、まぁこんなかんじ。

 

クレーマー(お客様という名の神様)

>>>

デスク(上層部)

>>>

現場(下級戦士)

 

例外はない。

絶対にそうである。

文句は言えない。

嫌ならやめるしかないから。

まぁ、そのおかげで、

クレーマーが自滅したわけなんですがw

 

しかしまためんどうなルール改正が起きた。

バカクレーマーは、どれだけ現場に

メーワクをかければ、

気が済むんだろう。

救急隊にしたって、仕事だから

やってるだけだというのに。

 

善意なら、だれもやんねーから。

いったいだれが好き好んでクレーマーなんて

たすけるの?

ジョーシキで考えてみようよ、

ジョーシキで。

 

人にやさしくされたいのなら、

まずは自分から。

当たり前だよ。

それをせず、弱者から奪い取る。

そんなことだけしか頭にないんだ。

絶対にそうだ。

異論は認めない。

もしも、ちがうという人がいるのなら、

ぜひそれを証明してもらいたい。

まぁむりだろうけど。

絶対にムリだ。

だって筆者が正しいから。

正しいのを覆すなんてむりだ。

まぁせいぜいぐちをたれるがいい。

 

 

kodoku.hatenablog.jp

 

 

kodoku.hatenablog.jp

 

 

kodoku.hatenablog.jp

 

 

kodoku.hatenablog.jp